宝筐院略史
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貞治五年(1367)、義詮が没する(38歳)と、善入寺はその菩提寺となりました。
そして、八代将軍義政の代になって義詮の院号の宝筐院にちなみ、寺名は宝筐院と改められました。
備中・周防などに寺領があり、足利幕府歴代の保護もあって寺も隆盛でした。
しかし、応仁の乱以後は、幕府の衰えと共にお寺も衰微してゆきました。寺領も横領されるなど、経済的に困窮していったからです。
その後……
江戸時代の宝筐院は天龍寺末寺の小院で、伽藍も客殿と庫裏の二棟のみとなりました。
そして、幕末には廃寺となりましたが、五十数年を経て復興されました。
●菩提寺
【ぼだいじ】
一家が代々帰依して葬式・追善供養などを営む寺。
●院号
【いんごう】
下に「院」の字の付く称号。
1)上皇の尊号。天皇の追号。女院の称号。
2)貴族・将軍などの建てた寺院の号。
3)法名・戒名に「院」の字の付くもの。
4)年功を積んだ修験者の称号。
●末寺
【まつじ】
本山の支配下にある寺院。本寺に付属する寺。
小楠公首塚由来
伽藍復興
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