小楠公首塚由来
黙庵は、河内の国の南朝の武将楠木正行(くすのき・まさつら)と相識り、彼に後事を託されていました。
正平三年・貞和四年(1348)正月、正行は四条畷の合戦で高師直の率いる北朝の大軍と戦い討ち死し(23歳)、黙庵はその首級を生前の交誼により善入寺に葬りました。
後に、この話を黙庵から聞いた義詮は、正行の人柄を褒め称え、自分もその傍らに葬るよう頼んだといいます。
明治二十四年(1891)、京都府知事北垣国道は小楠公(楠木正行)の遺跡が人知れず埋もれているのを惜しみ、これを世に知らせるため、首塚の由来を記した石碑『欽忠碑』を建てました。
用語解説
(『広辞苑 第五版』CD-ROM版 より)
●首塚
【くびづか】
首を埋葬した塚。
●首級
【しゅきゅう】
討ちとった首。しるし。
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